「考える」ということ

昨年の年の瀬に下記の17年間、派遣社員として働いてきた会社から契約打ち切りのニュースがありました。

「この会社が私の人生を搾取したんです!」〜派遣労働者・渡辺照子さん最後の出勤
http://www.labornetjp.org/news/2017/1206teruko

このニュースをどう捉えるかは、その人のバックグラウンドによって異なると思います。「ひどい話だ」という人もあれば、「バカじゃねーの」という人も。
BlogやTwitterに色々と載っています。

私の感想としては、「なぜこの人はこの会社に固執したのだろう」というものです。
どんな資格かはわかりませんが、渡辺さんは10種の資格を取得されているわけです。
その渦中には待遇は変わらない。普通ならばここで待遇を変えるために変化を望むと思うのです。

それにも関わらず、変化を拒んだのはなぜなのでしょうか。

私の母は、頭のよい人はないですが、常に考えている人でした。考えるというのは、現状を認識しどうするかということです。今も、老後の資産をどうやりくりしようとしているか考えて実行しています。

現状に満足すると、そこから転落が始まるということがあります。
給料が高い会社に行くべきなのは、その会社が評価しているからです。
名誉や栄誉ではおまんま食べては行けません。

人を評価する大きな指標はお金なのです。

大きな価値を得るために必要な努力や苦労は買ってでもすべきです。
その先が見えない、見通せないのであればやるべきでは無い。
その為に考えることが必要になってきます。

考えるために必要な何かはまた今度。

ではでは。